日本へロムンを招聘
2000年の9月頃ルーマニアから電話がありました。
AG(アルジィシュ)に住んでいる、ロムンカからです。友達のロムン(ルーマニアの男のこと)2人が日本に行きたくて、保証人になってくれないかと言うことです。
私もルーマニアで、会ったこともあり、お金も有り観光で来るとのことでしたので、迷惑はかけないという約束で、OKしました。
ビックリしたのは、どうせ、来るまでに1週間とか2週間とか、かかるもんだと思っていたら、OKしてから2日後の朝9時頃知らない番号からの着信があり、出てみると、2人のロムンが成田に到着した、向かいに来てほしいとの事でした。(おいおい!)
その日のスケジュールをキャンセルして急いで、成田に向かいその後再会。(すげー元気だな)
2人を乗せて、何処に行きたいか聞くと、浅草、六本木、芸者、(は~。やっぱり外人)
浅草に向かい、仲店を歩き、東京タワーに行き、普通の外人ハトバス観光状態。
その後、六本木、六本木、って、俺は仕事があるんだよ! (まぁまぁ落ち着いて)
ところで君達は、何処に泊まるのか聞くと、分からない、決まってない。(やっぱり)お金は、どれ位持っているの?滞在はどの位?
ビックリ!(1人10万円位・6ヶ月)(おめ~らはバカか!)
仕方なく都内にウイークリーマンションを借りて、それから、これからの事を考えることにしました。その中で2つ約束をしました。
1つは、勝手に出歩くな(出かけるならTELをしろ)
問題を起こすな(特に警察沙汰)です。
その他は、自分たちで考えろと、言うことになりました。(心配です)
日本滞在、何したい
1週間して今後の事を聞くと、2人の意見が違いました。
一人は、アルバイトをしたい。
もう1人は、私のボディーガードをしたい。(日本は安全な国だ!)
って言うか、(観光じゃね~のかよ!何しに来たんだ!)とにかく、問題を起こしたら、すぐに強制送還だからな!とクギをさし。それからはいろいろと、仲良くやりました。
色んな所にも、連れて行きました。
その中で困ったのが、ロムンカのお店に連れていくと、必ずお持ち帰りします。(ちなみに、2人は、かっこいいです。)
世話になったお礼なのか、私にも、誰がいい?と、聞いてきます。
おかげで帰りには大名行列状態。1人のロムンカならばいいのですが、行く店行く店でお持ち帰り、(お前らは何なんだ!)私は、基本的には毎日仕事で、2日に1回ペースで家に行き、一緒に食事をしたりしてました。
ここでも、困ったことがあります。好き嫌いが激しいのです。
生ものはダメ、米はダメ、肉もちゃんと焼かないとダメ、蟹を食べに行ったら、(エイリアン)
食べれるのは、チキン、ステーキ、焼肉、ロムンカ位、あっ、ロムンカは間違えでした。とにかく、会うたびに、ステーキ、焼肉では、困ります。日本の家庭では、基本的に父親の給料日に外食とか、何かを祝う時しか、あまり毎日外食している人はいません。
ましてや、AG(アルジィシュ)のロムンカや、この2人に義理がある訳でもありません。
(人が良いにもほどほどに!)ただ本当は、私が人の世話が好きなのかもしれません。
人が喜ぶ顔を見ると本当に嬉しいです。純粋な心(イ二マ)は忘れたくありません。
それからというもの、彼らは自由に行動し、私は社会勉強の一環としていい意味で毎日を過ごしてくれれば良いと思う様になりました。
やっぱり問題が発生
しかしある日の事、1人のロムン(アディ)が、3日も家に帰ってきません。
何かあったかと思い、探していると、知らない番号から携帯が鳴り、出てみると若い知らない日本人からで、
「アディって知っていますか?今私の所に住んでいます。」
いろいろ話を聞くと、六本木のディスコで知り合って、仲良くなりそのままその日から、その子の家に住み着いて居たようです。
めでたし、めでたし。
って行く訳ねーだろ!
ロムンというのは、こうした事が大半で、今が楽しければそれでいいというスタイルばかりです。(今まで私が見た限りは)
その後、その日本人の女の子が、家に居ていいというので(アディの事を気に入ったみたい!)何かあったら連絡する、という約束で、そのままそこに住ませてもらうことになりました。
問題は、こうして解決したものの次から次へと、シビレマス。
日本観光
話は日本に戻ります。
その後アディはそのまま、もう1人はウイークリーのままです。
それなので、自然ともう一人のロムンとの付き合いが、多くなりました。
毎日部屋の中では退屈だろうと思い、休みを取り富士五湖めぐりをしました。
車は先輩の車、ベットが3つにトイレに5人がけのソファー、キッチンまである大型キャンピングカーで行きました。
朝早く出て河口湖、西湖、精進子と周り昼は湖畔でバーベキュウをして、その日は箱根に泊まりました。温泉・温泉。
ホテルに着き浴衣に着替え、食事まで温泉に、あ~っ。ふ~っ。って感じです。
その後、食事、ところがロムンは食べれません。お刺身に、懐石料理、おいしそうです。でも彼は食べれません。仕方がなく無理を言ってステーキにパンを頼みそれなりに食事をとりました。(わがままな外人だ!)
食事が終わり又温泉、彼は温泉は好きみたいです。よかったよかった。温泉に入ると体が温まりよく寝れます。この日は本当に爆睡でした。
翌朝の朝食はバイキング、彼はお腹が減っていたのか、食べられるものがあるのか、とにかくよく食べていました。(外人と温泉に行くときは前もって食事のことをチェックしましょう)
この日は富士サファリパーク、富士山にいきました。サファリパークにはあまり関心がなかったようですが、富士山には感動していました。私も久しぶりでしたが、いいものですね富士山って、心が清らかになりました。
2日でしたが楽しい時間を過ごせました。その後は渋滞に並び帰宅。(彼は帰り道子供の様に寝ていました)
日本全国飲み歩き
さて、普段の生活にもどり、コンクリートジャングルに人ごみ、何処に行っても渋滞の世界に戻りました。
私は、基本的には休みは取りません。ですが、彼らが来てからというもの、週に1日は休む様になりました。体が持ちません。
2日に1回は一緒に食事をし、週に2回は飲みに行きます。ここのところ日本人のお店に飲みに行った事がありません。
全国に飲みに行きました。
何故かというと、彼と東京のお店に行きます。すると彼は情報を得てきます、(ついでに女も作ります)たとえば、名古屋に私の友達が居る(ロムンカ)とすると、その店の電話番号とお店の名前を聞いてきます。
大阪に私の・・・・といった具合に、次から次へと、(56件)ちぎっては投げ、ちぎっては投げ(本当は飲んでは吐き、)よく行きました。
そんなに行ってどーするの!って位行きました。それなりに意味もあったのですが、基本的には日本でのルーマニア観光って感じでした。
こんなふざけた滞在ではありましたが、月日がたち6ヶ月、慌ただしい時間が過ぎ2人はルーマニアに帰って行きました。
ここで200年にロムンを招聘したときの事をもっと詳しく
まだ、書き足りないことがあったので、付け足します。
以前のロムンの招聘をご覧になっていない方は、こちらから
それでは、本題に入ります。
ロムンの彼に日本滞在中は具体的に「何がしたいか?」聞いたところ、いろいろ言っていた中に「私の仕事が見てみたい」と言う事がありました。
ですが、彼が会社に来たら立場上困る事もあります。ですので、会社の中の飲食部門と美容部門に、勉強がてらお客を装い2,3回ほど来店させてみたりしました。とにかくひやひやもんでした。
ほかには、知り合いの会社に見学に行かせたり、本人の要望には、一応の対応はしました。
本人もまじめに、勉強しており よかった。よかった。
ただ困ったことは、私の出張になるとその先々に同行して来ます。
そして夜は、相変わらず日本におけるルーマニア観光?
その中のエピソードで(7日間連続)で飲んだことがありました。始まりは「大阪」からでした。
初日1件目「A」(ルーマニア5人ウクライナ4人のお店)のお店に行き3時間ぐらい飲み、2件目「B」(ルーマニア8人)のお店で3時まで飲み、その後2件目のロムンカ5人と朝8時までディスコに行きました。
翌日4時ごろ起きて昨日の1件目のロムンカ2人と合流して食事をし、その後同伴。11時頃まで飲んで、新しい次のお店「C」(ルーマニア14人)に行き、3時まで飲みこのお店のロムンカ4人と8時までディスコに行きました。
翌日も4時ごろ起きて「C」のロムンカと食事をして、アメリカ村に行きその後同伴。この日は12時ごろまで飲み、ホテルへ帰りました。
次の日のお昼頃大阪を発ち、「岐阜」に寄りました。
ホテルを取り夕方1件目(ルーマニア5人ロシア5人ウクライナ2人)のお店に行き3時間ぐらい飲んで、2件目(ルーマニア13人)のお店に行きました。ところがこのお店にはお客が誰もいません。ですのでやりたい放題でした。みんなで閉店まで飲み、その後全員でディスコに。1件目のロムンカ5人も呼び全員で20人(ロムンカ18人)の団体でした。朝の9時まで大騒ぎで、かなり盛り上がりました。
翌日4時に起きて、「名古屋」に向かいました。
ホテルを取り夜の町へ。名古屋では2件行きました。1件目(ルーマニア4人ロシア7人ウクライナ2人)のお店に行きました。静かなお店で、ラテン特有のよさがなく、あまり騒げず、静かに飲んでいました。2時間ほどで2件目(ルーマニア6人ロシア4人)へ。ありました、ありました。ラテン特有のお店が、すでにみんな酔っ払っていて、勝手に盛り上がっています。いい感じです。
私たちもこの感じで閉店まで盛り上がり、この日はホテルで寝ました。
翌日2時ごろ名古屋を出て「静岡」へ、静岡といっても帰り道なので、富士川のお店(ルーマニア14人)と沼津のお店(ルーマニア4人ウクライナ6人)に寄り朝方5時頃、神奈川へ帰宅。
とまぁ~ 「7日間で600キロの移動9件のお店に行き73人のロムンカに出会いました。」
「なんで、そこまで飲むのでしょうか?」と言うことを聞かれました。
答えは「それは、私もわかりません!」
ただお店に行くと、新しい出会いがあります。そして彼と行くことで、みんな喜びます。嬉しくて泣く子もいました。ルーマニアと言ってもみんな色々な所から来ています。半年とは言え家族と離れさびしい毎日です。普段は仕事で猫をかぶっていることもあり、自由がきかず、ストレスが堪っています。日本人とは違って、付き合うと喜怒哀楽がはげしくわがままの度合いもかげきです。そんなルーマニア人が私は好きなのだと思います。
ただみんな日本には仕事で来ています。お忘れなく!
その後の出来事「彼の変化」
彼はちなみに(バカボンズレ)浮気者です。
しかしある日を境にまじめになりました。神奈川のあるお店で、本当に好きな子に出会いました。
その彼女はウクライナ人で、誰が見ても綺麗でモデル張りのスタイルです。
最初は、どうせすぐに厭きてしまいすぐ別れると思っていました。しかしどうやら彼は本気らしくその後、人が変わったようでした。暇さえあればウクライナ語を勉強し、デートはキスだけ、うっ嘘~って言うぐらい変わりました。
それから2ヶ月が経ち、彼からのお願い事が・・・・
「彼女が帰る前に、彼女と特別な思い出になるデートがしたい!」との事。
そんな様な気はしていました。そして、相談に乗ることにして、あるデートのスケジュールを考えました。
用意したものは、船(食事付き)・リムジン・ドレスにタキシード、50本の赤いバラの花束、それとホテルの1部屋をリザーブしました。
まずは、彼女の休みの日の12時に私の車で迎えに行き、逗子の海に行きバーベキューをして、それはそれは盛り上がり、その後横浜のインターコンチのホテル(予約しておいた)に行き、彼女だけ部屋に入り、用意をしておいたドレスに着替えてもらい、(その間、彼は車の中でタキシードに着替えて、ホテルの下には、リムジンを待機。)部屋に彼女を迎えに行き、またせておいたリムジンに乗り込み、山下公園の前を通り、今度は船へ・・・・・
その後、横浜の夜景を見ながらの食事、最後は、バラの花束を渡して結婚してとの告白を・・・・
「普通の人はそこまでヤンね~よ!」
そして彼女の返事は「ハイ」だそうです。 クゥ~!
その後2人はインターコンチの部屋に消えて行きました。 クゥ~!
デートのその後
それから1週間後、彼女はウクライナに帰っていきました。
彼は、彼女が帰ったその後も、まじめに生活していました。特に、美容院の事を勉強し、熱心にレポートまで書いていました。 関心・関心。
時に、人間は気持ちの持ちようで、こんなにも変化するのですね!
今回の日本滞在は、彼にとっては、今までにない体験になったようです。それから2週間後彼もルーマニアに帰っていきました。いつも彼が帰ると複雑な気分です。ホットすると言うか、何か物足りないと言うか、いつも気にしていた奴が居なくなるということは、自分の中の何かが、取れたみたいです。何か張り合いがなくなったようです。
そんな時は、自分への休養だと思う様になりました。